少し前の話ですが…手塚貴晴氏の後援会に行ってきました。
人気の建築家ですので150名近くの聴衆者の中には多くの高校生も見受けられます。
氏の建築で有名な「屋根の家」「ふじようちえん」の逸話が中心です。
講演内容を簡単に紹介します。
「屋根の家」では…(基本屋上ではない。結構見晴しのよい立地ではある)
屋根の上で食事が出来て(東京ガスから屋根にガスを引く事は否定された)、シャワーも出来る。
ものすごい数の人(オープンハウスの4~5時間で400人以上)が見にきたとの事。
「手摺がなくて違法建築」とかの話もありますが、「廻りを見渡して手摺のある屋根なんてあります
か?」と施主に言われて申請を出したら「通っちゃた」との事。
(軒先がものすごく低く落ちても、重症はあっても死ぬ事はないとおもうが…)
最初子供の友人が連れてきて、来たこと事のない友達が学校で仲間外れにされだし先生から
「連れて行ってあげなさい」となりクラスメートのほか隣のクラスの子もきて全校生徒のほとんど
がきた事がある。
この「屋根の家」のクライアントの方はカウンセラーをやっています。
中学校で、ぐれた背丈の大きな中学生の子を「屋根の家」に連れてくることにしたのです。
普通はいじめる側といじめられる側の親御さんやお子さんがいると「おまえが悪い」といい合いになっちゃって大変ですが、屋根の上に行くとみんな静かになっちゃうんですね。
挙げ句の果てにはすごくいかつい感じのおじさんなりお兄ちゃんが、
突然「俺もこの屋根の上で育ったら、優しい人間に育ったかもしれないな」って高倉健みたいなことをいい出したりするんです。
考えてみると、平らな広場は人が集まらない。世界でも傾いている広場は必ずといってよいほど人が集まっている。人間は平らなところは集まらない。だから屋上には人が集まらない。
しかし屋根なら傾いているから人が集まるだろうと。そんな単純な話です。
「ふじようちえん」は600人近い園児のいるバカでかい(日本で3番目)幼稚園です。
園長は一日中園内を歩き回っています。
既存の木(3本)を伐らず残しながらの円型(正確には中心点のない楕円型)です。
根っこを避けての建物ですのでロングスパンです。
今どきの子供ってなかなか運動しないんですが、いざ建物ができてみたら、子供たちがずっと屋根の上を走っているんです。
よく走る子は朝30周くらいするらしいですが、別にマラソン教室をやっているわけではないんです。
少なくともこの幼稚園にきた子は、朝から帰るまで10周くらい走っているらしいんです。一周きれいに走ったとしても200メートル弱あるので、30周すると、なんと6キロ近く子供は走っている。
五歳児が6キロ近く走るということはものすごいことです。
この建物は600人の園児のための「屋根の家」です。ただし、先にお話した「屋根の家」とは違って手摺りがついています。木の周りだけそのアイデアを残しました。
建築基準法のためにどうしてもこの「手摺りもどき」が残ったんですけれど、
子供にとってこの手摺りは全然関係ないのですね。木の周りに網をかけて落っこちないようにしたら、子供はわざわざ落っこちに行ってしまう。
何人か落ちると、わあっとまた集まって増えていっちゃいます。一本の木に40人くらいはいる。ケヤキというのは下からだと登りにくいのですが、
途中からだと登りやすい木だということがわかりました。一生懸命登っています。
このデコボコしているところをサッシュが回りながら入っていきます。6枚引きです。一年間の3分の2はこの幼稚園は窓をあけっ放しで使います。
われわれは高気密・高断熱住宅はよくないことだと思っているんです。
フランスにボルドーという街があるんですが、
そこにもEUの基準が投入されたんです。窓面積制限です。実は日本もそういうのをやろうという人
がいるのですが、とんでもないことだといっているんです。
窓の大きさを制限すると熱効率がよくなって空調の効く建物ができる。そうすると省エネのビルディングができますよ、というのが彼らの論理なんです。ところがボルドーでそれを導入したら今まで窓をあけて生活していたボルドーの生活パターンが壊れてしまったんです。
夕方になってワインをあけ適当にやっていたのが、みんな空調機の生活になってしまった。しかも省エネのビルディングのはずが、夏の電力消費が増えちゃって供給が追いつかなくなってしまった。これじゃ全然逆ですね。高気密・高断熱はひとつの手法なんだけど、
それが先走りするとものすごくエネルギー負荷の高い都市ができてしまう。空調を使うことを前提にして空調が効く建物を高気密・高断熱っていうのですけれども、
空調を使わないってことは前提に入っていないのですね。ですから正確にいうと建物は低気密・高断熱がよい。アトピーの心配も少ない。
今どきの建築はどんどん隣との遮音を充実させています。園長先生はそれについて「落ち着きのない子が生まれる。みんなね、お互いに話す時は一生懸命に話を聞くでしょ。盛り場に行ったからってお互いに話ができないかというとそうでもなくて、ちゃんとお互い話ができるのですよ」という。
勉強をするためにわざわざ図書館に行きますが、図書館というところは実は結構うるさいのですね。家のほうが静かだったりします。
ところが家だとみんな勉強しない。人間とは雑音が必要な動物なんです。雑音があると落ち着く。ここは。隣の部屋の音も聞こえるでしょう。ピアノの音も聞こえる。
するとみんな先生の話を一生懸命聞こうと思って前を向いているんですね。この幼稚園の机はまっすぐ並べられない机ばかりなのですけれども、でも斜めに並べたり後ろ向いたりして先生の顔を一生懸命に見て話を聞こうとする。これは雑音があるからなんですよ。人にはノイズスキャン機能があり、どの音を消せばよいか判断する。
静かな空間だと子供は泣く。
こういう所で集中力が生まれるんですね」と。それからイジメもないって断言していました。何か起きた時に必ず先生の目が届く。
閉じ込められた空間ではないから、そのクラスが嫌になったら、隣のクラスに行けばいいんです。
隣のクラスの子がいきなりチョロチョロッと入ってきたりします。それは先生同士の合意ができていればよいということになっています。
自分の居場所を子供が選べる。閉じ込められると人はいじめる。これは社会のあり方と同じですね。
他にもいろいろな話がありましたが長くなり過ぎました。 cpd2.0 カワ
人気の建築家ですので150名近くの聴衆者の中には多くの高校生も見受けられます。
氏の建築で有名な「屋根の家」「ふじようちえん」の逸話が中心です。
講演内容を簡単に紹介します。
「屋根の家」では…(基本屋上ではない。結構見晴しのよい立地ではある)
屋根の上で食事が出来て(東京ガスから屋根にガスを引く事は否定された)、シャワーも出来る。
ものすごい数の人(オープンハウスの4~5時間で400人以上)が見にきたとの事。
「手摺がなくて違法建築」とかの話もありますが、「廻りを見渡して手摺のある屋根なんてあります
か?」と施主に言われて申請を出したら「通っちゃた」との事。
(軒先がものすごく低く落ちても、重症はあっても死ぬ事はないとおもうが…)
最初子供の友人が連れてきて、来たこと事のない友達が学校で仲間外れにされだし先生から
「連れて行ってあげなさい」となりクラスメートのほか隣のクラスの子もきて全校生徒のほとんど
がきた事がある。
この「屋根の家」のクライアントの方はカウンセラーをやっています。
中学校で、ぐれた背丈の大きな中学生の子を「屋根の家」に連れてくることにしたのです。
普通はいじめる側といじめられる側の親御さんやお子さんがいると「おまえが悪い」といい合いになっちゃって大変ですが、屋根の上に行くとみんな静かになっちゃうんですね。
挙げ句の果てにはすごくいかつい感じのおじさんなりお兄ちゃんが、
突然「俺もこの屋根の上で育ったら、優しい人間に育ったかもしれないな」って高倉健みたいなことをいい出したりするんです。
考えてみると、平らな広場は人が集まらない。世界でも傾いている広場は必ずといってよいほど人が集まっている。人間は平らなところは集まらない。だから屋上には人が集まらない。
しかし屋根なら傾いているから人が集まるだろうと。そんな単純な話です。
「ふじようちえん」は600人近い園児のいるバカでかい(日本で3番目)幼稚園です。
園長は一日中園内を歩き回っています。
既存の木(3本)を伐らず残しながらの円型(正確には中心点のない楕円型)です。
根っこを避けての建物ですのでロングスパンです。
今どきの子供ってなかなか運動しないんですが、いざ建物ができてみたら、子供たちがずっと屋根の上を走っているんです。
よく走る子は朝30周くらいするらしいですが、別にマラソン教室をやっているわけではないんです。
少なくともこの幼稚園にきた子は、朝から帰るまで10周くらい走っているらしいんです。一周きれいに走ったとしても200メートル弱あるので、30周すると、なんと6キロ近く子供は走っている。
五歳児が6キロ近く走るということはものすごいことです。
この建物は600人の園児のための「屋根の家」です。ただし、先にお話した「屋根の家」とは違って手摺りがついています。木の周りだけそのアイデアを残しました。
建築基準法のためにどうしてもこの「手摺りもどき」が残ったんですけれど、
子供にとってこの手摺りは全然関係ないのですね。木の周りに網をかけて落っこちないようにしたら、子供はわざわざ落っこちに行ってしまう。
何人か落ちると、わあっとまた集まって増えていっちゃいます。一本の木に40人くらいはいる。ケヤキというのは下からだと登りにくいのですが、
途中からだと登りやすい木だということがわかりました。一生懸命登っています。
このデコボコしているところをサッシュが回りながら入っていきます。6枚引きです。一年間の3分の2はこの幼稚園は窓をあけっ放しで使います。
われわれは高気密・高断熱住宅はよくないことだと思っているんです。
フランスにボルドーという街があるんですが、
そこにもEUの基準が投入されたんです。窓面積制限です。実は日本もそういうのをやろうという人
がいるのですが、とんでもないことだといっているんです。
窓の大きさを制限すると熱効率がよくなって空調の効く建物ができる。そうすると省エネのビルディングができますよ、というのが彼らの論理なんです。ところがボルドーでそれを導入したら今まで窓をあけて生活していたボルドーの生活パターンが壊れてしまったんです。
夕方になってワインをあけ適当にやっていたのが、みんな空調機の生活になってしまった。しかも省エネのビルディングのはずが、夏の電力消費が増えちゃって供給が追いつかなくなってしまった。これじゃ全然逆ですね。高気密・高断熱はひとつの手法なんだけど、
それが先走りするとものすごくエネルギー負荷の高い都市ができてしまう。空調を使うことを前提にして空調が効く建物を高気密・高断熱っていうのですけれども、
空調を使わないってことは前提に入っていないのですね。ですから正確にいうと建物は低気密・高断熱がよい。アトピーの心配も少ない。
今どきの建築はどんどん隣との遮音を充実させています。園長先生はそれについて「落ち着きのない子が生まれる。みんなね、お互いに話す時は一生懸命に話を聞くでしょ。盛り場に行ったからってお互いに話ができないかというとそうでもなくて、ちゃんとお互い話ができるのですよ」という。
勉強をするためにわざわざ図書館に行きますが、図書館というところは実は結構うるさいのですね。家のほうが静かだったりします。
ところが家だとみんな勉強しない。人間とは雑音が必要な動物なんです。雑音があると落ち着く。ここは。隣の部屋の音も聞こえるでしょう。ピアノの音も聞こえる。
するとみんな先生の話を一生懸命聞こうと思って前を向いているんですね。この幼稚園の机はまっすぐ並べられない机ばかりなのですけれども、でも斜めに並べたり後ろ向いたりして先生の顔を一生懸命に見て話を聞こうとする。これは雑音があるからなんですよ。人にはノイズスキャン機能があり、どの音を消せばよいか判断する。
静かな空間だと子供は泣く。
こういう所で集中力が生まれるんですね」と。それからイジメもないって断言していました。何か起きた時に必ず先生の目が届く。
閉じ込められた空間ではないから、そのクラスが嫌になったら、隣のクラスに行けばいいんです。
隣のクラスの子がいきなりチョロチョロッと入ってきたりします。それは先生同士の合意ができていればよいということになっています。
自分の居場所を子供が選べる。閉じ込められると人はいじめる。これは社会のあり方と同じですね。
他にもいろいろな話がありましたが長くなり過ぎました。 cpd2.0 カワ